なぜギークは良い作り手になりうるのか

いい聞き手はいい話し手になりうる。

いい読み手はいい書き手になりうる。

 

こういう言葉を聞いたことがあるかもしれません。

 

年下なのにしっかりしてる、あるいは若いのにも関わらず目上の人にも話を聞くし、年下の人にたいしても見下したりしない。こういうことができる人が世の中には少ないもののいます。こういう人の特徴はなんでしょうか。

 

どちらも自分の中にあらゆるレベルでの自分を持っていて、それを巧みに使い分けられられることが特徴かもしれません。

 

自分と階層・文化・年齢・仕事、あらゆる方向で差がある人に対して「共感できる」ことこそ、その人から話を理解するために必要だったりします。逆説的に言えば、伝えたい人の人格を理解してなりきれれば、伝えたい人に伝えられるのかもしれません。

 

そういう特徴を身につけるためにはどういうことが必要なんでしょうか。

知識と知恵。一文字違いですが、一方は文字の羅列として情報化されたもの、一方は自分にとっての意味を持った「有機的な情報」です。知識を知恵に転化するためには、自分の仕事に対しても人に頼んだ仕事、行った仕事に対して、「シミュレーションと反省」の習慣を身につけることが大切だと「仕事の技法 (講談社現代新書)」で田坂広志は言います。これからやる仕事は何が問題なのか、何が起こりうるか、そういうことが気にしながら実行し、実行終えた仕事は、何が問題だったか、何が重要だったか、勘所とも言える「てこ」の部分を理解しておくことが重要です。そこには

仕事の技法 (講談社現代新書)

仕事の技法 (講談社現代新書)

 

 

何かを伝えることに関してもまた、自分の中にあらゆる自分をもち、伝えられる立場の人に対して共感できることが重要です。厳密には「伝えよう」として「なりきる」わけではなく、伝えたい人が伝えたい意思が、その意思が届けたい人に「届いてしまう」ようなものだと言います。(街場の文体論 (文春文庫))

街場の文体論 (文春文庫)

街場の文体論 (文春文庫)

 

 

ものづくりもまた、優れたコンテンツの理解者が(ここでは「優れた」とは様々なものに触れてきた肉体的な「知恵」を持っているというのが定義です)面白いコンテンツを生み出すということがよくあります。これもまた共感力を用いて過去の知恵を組み合わせて作り出しています。ここには、「知識」から組み立てられるボトムアップな面白さではなく、ユーザーとしてみたときの「あの感じ」という肉体的な面白さからつくられるトップダウン式の面白さがあるように思います。 

 

様々な人と向き合い、理解していくためには自分の幅を持ち、それを使って共感していく力を身につけていくことこそ、生き抜くためには重要なのかもしれません。

新しいことをすることは、ルールを知ること

人に、何を目的として本を読むの?、とか、経済を勉強するの?とか、3Dを勉強するの?とか、聞かれることがよくある。けど明確な目的はないことがおおい。

 

でも、一つ言えるのは世の中にはルールを知っておけば参加できる「ゲーム」がたくさんあるということだ。

経済が読めれば新聞が読めるし、日経平均や為替、あらゆるゲームに参加したり理解できるようになる。

哲学や思想を学べばその考え方を使って少し先の未来を考えたり、目の前の考え事と戦うようにもなれる。

音楽をやればジャンルがわかるし、構成や技術、あらゆる角度から作品が見えるようにもなる。

プログラムをやればものの作られてる仕組みが見えるようになる。

 

何か新しいことをやるということは、そのゲームに参加するためのルールを知るということ。ルールがわかれば遊べるし、ルールを逆手に取ることもできる。

 

目には見えないルールをどんどん習得してその上で遊べばいい。

エンジニアリングも、ものづくりも経済もルール(仕組み)がある。

世の中のあらゆるゲームに参加するために必要なことを学んでいけばいろんなことが見えてくる。

 

難しい・わからない・妥協・諦め。ルールを学ぶことを諦めてしまうのは簡単だが、諦めればそこで終わり。チャンスもゲームもその人にはやってこない。 

 

経済学を学ぶ (ちくま新書)

経済学を学ぶ (ちくま新書)

 

 

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

 

 

 

 

 

徒然草に学ぶ

時は201X年。エンジニアという仕事が存在する時代。

IT業界の時代はオープンソース。人類の発展に自らの技術力を捧げることで

徳がつめると考えられていた頃である。

 

僕もコミッタとかソースをあげられる人になりたい、そんな思いはあるものの

Githubの草は真っ白だった。そんなとき一冊の本が空から落ちてきた。

 

徒然草」(兼好法師)

新版 徒然草 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

学生の頃によく読んだ本である。風に吹かれて開かれたページにはこんなことがかいてあった。

 

「第150段 技術や芸を身につけようとする人で、「うまくないうちは誰にも言わないでおこう。うまくなったらみんなに言おう」と思ってる人が成長して習得した試しはない。できないうちから人に見られ、disられながら、恥をかきながらもどんどん練習するような人が師となるような人に最終的になるもんだ。」

 

ほう。青年はそのページを引きちぎって家に帰って壁に貼り付け、すべての作業をオープンにするようにした。のちのスターエンジニアである。

 

=========茶番終わり

 

とまあ、そういうこともあるわけで、昔の徒然草ですらこういうことを書いています。人知れずやってからうまくなったら人に言おうなんていうのは大概失敗するものですよね。自分も学生の時にギターとかなんやかんや手を出して成果は雲散霧消してしまいました。

 

エンジニアの仕事も当時は全然できもしないのに爽やかな顔で「できます」なんて言いながら小さいベンチャーのお手伝いを始めたのがきっかけだったりします。

 

技術がどんどんブラックボックスになって使う人が箱の中身を知らなくなっていく時代ですが、興味を持って中身をほじくってみたり、見よう見まねでもいいからやってみたりそういうことを許容できるような雰囲気って大事なんだなあと思いました。

 

SNSでみんなが監視をして、自分も自分の監視をする時代です。アダムスミスは人の行動を自分の視点ではなくて公共の監視の視点から評価するべきなんてことを言ってましたが(道徳感情論)、人からの目を気にして何もできないこともあるので、そういうのは取っ払っていけたらいいですよね。

 

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)

本棚と生け簀

本棚は生け簀であるべきだ。

生け簀とは、

取った魚などを一定期間飼っておく所。水槽や、池または海岸の水中を竹垣や網で囲ったものなど-(出典:goo)

のことを言う。

水槽の中にこれから食べられることを待ち遠しく魚が泳いでいるあれのことである。

 

情報は生き物だ。そして情報をもつ本もまた生き物だ。

でもその生き物のもってる力を本当に自分が引き出してあげられるかどうか、つまり、

どの情報が書いてあるかよりもその情報が自分にとって「今」意味があるのか

ということが重要だったりする。

 

だからそれを重視していくには自分にとって必要であり、価値を取り出せると確信できことを考えながら本を選んでいかなければならない。

 

でも一方で、それはー魚同様本にも賞味期限があるからーそのほうが経済的にも、空間的にも消費されなくて良かったりする。

 

何事も、新しいことは楽しい。

それでも、本当に新しいことはない。必ず文脈は存在し、その文脈を大事にする。

自分にとって最適な本を選ぶ基準は、その本の7割がすでに理解しているかということだ。

 

すでに理解していることをもう一度読むことは楽しく無いかもしれない。

しかし、同じ情報を受けて脳のネットワークは強化される。そして新しい情報である3割によって脳は新しいシナプスを形成する。インプットとアウトプットが同時に行えるのだ。

 

人生は短く、得たものは大事なことをちゃんと持って明日に向かわないといけない。そのためにも本棚は生け簀であるべきだ。

めんどくさいの正体

めんどくさいの正体。それはめんどくさい。

めんどくさいと思ったらその時点でめんどくさくなる。一種の呪いみたいなもの。

 

実際の作業量とか、そういうものではなく、呪いです。

 

「Aを実現するにはBの方法しかできません」と言ってしまうことがある。

これもまた呪いの一つだと思う。

 

特に日本人は呪いにかかりやすい民族だ。

例えば、日本とアメリカの国際的な立場を見ればわかるように、マッカーサーが日本に対して日本には力を持てないように呪いをかけた、と思い込めば、アメリカに対しては呪いをかけた相手として「恨み」を持って向かう。一方、アメリカはそんなつもりは無いので、呪いを解け、と言ってもなんのこっちゃ?という顔をする。

 

エンジニアでも「これはAの方法しか無いからめんどくさいです」と言ってしまう人も多い。これは、出来ないですとめんどくさいですのダブルの呪いがかかってるわけです。

 

「ハック」と言うと人によっては訝しげな顔をするかもしれないけど、これは「物事をうまく解決する」というのも含意されている。

エンジニアの仕事は「問題をうまく解決すること」であって、方法を決めることではない。「その方法しか無い」という呪いが起きそうならその呪いがまず問題として考えなければならないことであって、自分に呪いをかけつづけて自分を呪い殺そうとするのは「非生産的」だなあと思う。

 

めんどくさいの呪いと同じく、理想的、も「理想」だから、理想的なのだ。

それを自分の思い込みに用いるのも間違っている。

現状に対してどう戦って解消するかがやるべきことなのにもかかわらず、「そもそも」という「理想」を用いるのは最も意味のないことだと思う。

 

自分が「こうあるべきなのに」という理想に対する愚痴が全く効用を生まず、聞いてる人も話してる人も何も生産しないのはそれが「理想に対する愚痴」だからであって、

「現状に対して解消するための苦悩」ではないからです。

 

職場がこうあるべきなのに「こうでない」と愚痴を言うタイプはどこへいっても同じことを繰り返すと思う。「隗より始めよ」ではないけども、まずは自分の眼の前の現実と向き合って闘うところから始めなければ、自分に対する呪いは解けない。

 

 

邪悪なものの鎮め方 (文春文庫)

邪悪なものの鎮め方 (文春文庫)

 

 

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? 

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか? (星海社新書)

 

 

ただただ、長く働けばいい、頑張ればいい。そんな働き方ではいつかは体を消耗してしまう。資本主義の真っ只中で僕たちはどんな働き方をすればいいだろうか。

 

給料ってなんだ

給料は、労働の再生産コストだ。だから、あなたが今月働いたのにかかった食費、光熱費、生活費、もろもろといった、その次の一ヶ月も同じ労働をするために必要な経費なのだ。だから、(結果ではなくて気持ち的に)頑張ったから多い、少ないという理屈は通らない。

お医者さんや弁護士が高いのは、その職業につくまでの必要コスト(医学部にいく、とか司法試験を受けるとか)がものすごくかかっているためだ。あくまでその職業の労働生産を再現するのに必要なコストを支払っているのである。

 

利益ってなんだ

会社にとっての利益とは、売上 - 費用である。売上から人件費、会社の家賃、といった必要経費を差し引いたものが利益となる。利益をあげるには

経費をさげる

売上をあげる

のいずれかしかない。

だから経営者は同じ経費でも余剰労働時間(決まった時間以上の労働時間)を多く取ることが利益につながると考えるのだ。

 

この同じ視点をミクロの視点で労働者に当ててみる

労働者にとっての利益とは、満足感 - 経費である。つまり、労働によって得られる満足感からそれを実現するのに必要だった経費(精神的な苦労や肉体的な苦痛など)を引いたものになる。会社と同様に考えれば、満足感をあげるか、経費をさげるかしかない。ところが人間の満足感とは、儚いもので、すぐにそれになれてしまい時間とともに満足する傾向にある。したがって経費をさげることが重要である。

 

労働者自身にとっての経費をさげるとは

労働者にとっての経費が多いとはどういうことだろう。これはこの記事の最初に書いた、だらだらと同じ能力で背伸びし続け、自分にかかる負担を大きくし続けるということである。とにかく遅くまで働く、とにかく頑張る。それでは一時は良いが、永続的に労働を続けることは難しい。

その経費をさげるためにはどうすればよいか。仕事に対して必要な精神的・肉体的労力をさげるしかないのだ。これは例えばエンジニアならば自分の技術をあげてあるプログラムを実装するための考える時間や作業時間を減らすなどといったことだ。つまりその仕事の実現に必要なリソースをなるべく少なくするような土台作りが必要である。

 

だからだらだら時間を消耗せず、自分の土台をあげるための努力が常に必要である。

 

さらに経費をさげるには 

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする

 

仕事の結果を出し、知識も技術もつけ、だらだら頑張り続けるスタイルをやめ、その上で経費をさげるには仕事に対して本質を見抜く訓練が必要である。そして、自分の能力も見極め、それを最大化できるような仕事の実現の方法を考えることが重要だ。

仕事に対しては削除・凝縮・修正・抑制の4つのプロセスが重要で、その中で自分の能力に対してイエスと言えること、ノーと言えるものを振り分ける必要があると思う。

 

資本主義の不都合な真実に対して、労働者は自分の’資本’で生き抜かなければならない。

 

という、2つの本を読んで思ったことでした、まる。

AIは資本主義を終わらせるか

結論

終わらないはずだ。

 

理由

 

資本主義の下、技術革新は常に起こり続けている。

それにともなって、労働者一人が生産できる価値は日に日に増大し続けている。

たとえば労働者に求める一日の生産価値が80だったとして、

最初8時間労働が必要だったとき、

技術革新で生まれた機械の単位時間あたりの生産量が40になるならば、

労働者の必要時間は2時間になる。 

 

次に経営者はこう考える。

必要労働時間が8時間から2時間になったなら余った6時間は余剰労働時間に使える

 

これが資本主義の不都合な真実だ。

資本主義は、労働者を価値生産のために時間を用いていて、その価値生産を満たせば

給与は払われる。それはその価値生産に必要な労働の再生産コストとして。

 

資本主義には、効率化、技術革新を推し進め、 労働者を解放する可能性を内包しているのにもかかわらず、システムがさらにその状況を悪化しているように見える。

 

AIの開発が進み、人の仕事がなくなっていったと同時に、資本主義下では、他の労働における余剰労働力としての労働者が増加するだけであって、実際に人が働かなくてよくなるというようなユートピアが生まれることはないと思う。

 

 

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

資本論 1 (岩波文庫 白 125-1)

 

 

ビギナーズ 『資本論』 (ちくま学芸文庫)

ビギナーズ 『資本論』 (ちくま学芸文庫)