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転職して二ヶ月がたった。

「大学を出てから2年経たないうちに転職した。」 こういうとめっちゃ何も考えずに転職した感。

 けど、転職しました。 それから二ヶ月が経って転職までの経緯を整理したくなったのでメモ。

転職した理由は2点。 「経営者に対する不信」と、「自分のできることを広げたくなった」ということです。  

経営者に対する不信 

やめた会社はスタートアップと呼ばれる会社でした。 そういった会社の多くは、お金をファンドから借りて、多くはない給料を社員に支払って 「みんなで大きなことを成しとげよう」と、夢で会社の人に信頼してもらって経営を進めていきます。 事業がうまくいっていればこそ、その夢が目標として見えることもあるでしょう。

言い換えてしまうと、虚構の燃料を燃やしながら、社員から経営者に対する信頼を柱に経営者は事業を進めていきます。

自分の場合は、入社前にストックオプションを渡すよという口約束もあったものの、 その後2年半の中で渡されることもなかったという点ではやめやすかったのかもしれません。

ブレてしまった

自分が新卒社員になった時、会社で働くには「信頼残高が大切だよ」と社長から教わりました。

でもこれには影があります。というのも、「社員に対する社長の信頼残高」もあれば、「社長に対する社員の信頼残高」もあるわけです。 社長が社員に任せられるようになるのは前者の残高、社員が社長を信じてついていくのは後者の残高です。

どちらも残高が減らないようにする必要があります。 そのためにはブレないことが大切です。

言い換えれば、会社からみた「正しさ」をちゃんと突き通すことが重要ではないでしょうか。

社内のルールに対して違反している社員がいた時に、社長が「まああの人は許容している」というような判断の仕方をし始めた時、 自分の中での社長に対する信頼残高は大きく溶け始めました。

やりたいことを考える

今年は、当初の予定とは大きく舵を切ってチームも変わりました。 事業のために開発を優先しすぎて、市場を意識しない方向へ向いていないか不安になりました。 その時に自分にマーケットを理解して、ビジネスを理解できるリテラシーとスキルがほしいと感じた時、 今の会社では少し学ぶのは難しいかなと感じ始めたのでした。

人が増えた

事業に向けて人を採用しはじめてから、人手不足からか社風とはすこし異なった人の採用も目立ち始めました。 マインドも異なり、社内のルールも乱す人が少し現れてきたため雰囲気も少し良くなくなってきました。

打破したい

会社をそこから持ち上げくらいの力が自分にあれば状況を打破したいと考えました。 しかし今、自分の見てる環境と打破するのに必要な力はここでは得ることはできないと考え、転職にいたりました。

一つの方向を向いて一丸となって働くのはエネルギーも必要ですが、ものすごく楽しいです。 常に笑っている人がいないのと同じように、会社も様々なフェーズがあります。

ネガティブなことも書きましたが、結局はどこまで信じるか。それに尽きるんじゃないでしょうか。

読書論のススメ

読書。それは本を読むことですが、その読書について考える機会は意外とありません。

 

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

 

読書論で、 有名なのがショウペンハウエルの「読書について」。読書というのは本を読むことで他人の思考を追うことであり、ひいては自らの思考停止につながると断言している読書に対して警鐘を鳴らしているような本です。

確かにそこに「読むだけ」の行動ならその危険性はあるかもしれません。本をどう読むかによってそこから取り出される事実は全く異なりうるのです。本から私たちは何を得ているのでしょうか。

 

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

 テクスト論として非常に鋭い指摘をしている本があります。

それが、この「読んでいない本について堂々と語る方法」です。

本を読むことは著者に従属することだ、とか創造力を失う、

という指摘もありますが、なかでも注目したいのは人と人との間に本があるというもの。

 

本が織りなすコンテンツは読んだ人と本の間にできる「読んだ人の中の内なる図書館」とその本について語れる人同士の「内なる図書館」の重ね合わせで得られる「仮想的な図書館」だと言います。

 

私たちは本を読んでいるのではなく、本と読んでいる人の間の「本」を読んでいるにすぎません。100%読んだという定義はどこにもなく、誰しもが「読んでない」とも言えるし「読んだ」とも言える。本と自分との関係を見出して感じればそれは読書としての効用はすでに得られている。そんなことが書かれています。

 

例えば、サラリーマンが読んでも居ないのに電車のつり革に書かれた「中年の品格」という本の広告に対してブツブツ言っているとしましょう。それでもうその本とそのサラリーマンとの関係はできあがっているし、本がコンテンツを生み出しているとも解釈できますね。

 

世の中には情報が指数関数的にあふれています。自分の中で降り注ぐ情報の雨から身を守る傘が必要です。テクスト論や読書論は情報中毒に陥りがちな現代人にその危険性と、意味を明確に訴えかけてきてハッとさせられることも多いかと思います。

 

アダムスミスが見たかったもの

 1700年代後半。イギリスはフランスとの戦争のあと、財政的にも借金(国債)が嵩み非常につらい状況でした。当時の経済を支配していたのは重商主義。貿易で儲けさえすればいいというような中、貧しい国民には、植民地であるアメリカの防衛コスト、税金のために財産を差し出せというようなことまであったといいます。

 

そんな中で、人はまず自分・身の回りから豊かになっていかなければならない。国はまず自国の中から豊かになっていかなければならないと当時の経済政策に警鐘をならしたのがアダムスミスでした。

 

アダムスミスには二つの著書があります。「道徳感情論」と「国富論」です。

 

道徳感情論 (講談社学術文庫)

道徳感情論 (講談社学術文庫)

 

人には「同感」という仕組みがあり、人が嫌がることはやらない、間違ってると思うことはしないというルールの塊である「道徳」があります。国というのは人々がそれをやってはいけないという判断のもとになっている「正義」からなりたっていると考えました。強い人には強い人の正義、弱い人には弱い人にも正義がある。富んだ人の正義によって自然と富が再分配される。地主の見栄によって新しい人が雇われ、富が再分配されていく。それを「見えざる手」と表現しました。

 

国富論 (1) (中公文庫)

国富論 (1) (中公文庫)

 

当時の重商主義を批判し、まずは国の中から富んでいくために農業、工業、貿易という順番で優先していかなければいけないということを発しました。その中で分業し、国民に富ませ、分配を促し、より強い国家への道を示しました。加えて、当時アメリカにはトマスペインが「コモンセンス」の中で独立すべきだということを示しており、スミスはイギリスにかかる植民地の防衛コストを下げ、ちゃんと自由貿易を行うためにも独立を進めるべきだと言って独立を進めたといわれています。

みんなが貧困から逃れ、お金を使うようになれば市場は正しく是正される。ここにもアダムスミスの「みえざる手」(市場価格調整メカニズム)の考え方が表れているようにも見えますね。

 

個々人ができることは限られているけども、みんなが身の回りに気を付けて正義と、富を分配していけば、人々、ひいては国が幸せになることをアダムスミスは言いたかったのかもしれません。

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)

アダム・スミス―『道徳感情論』と『国富論』の世界 (中公新書)

 

 

反知性主義(2)

反知性主義 - 「あなたが何を言おうと私が正しい。異論は認めません」といった考え方。

 

世の中はどんどん反知性化していく。正しさの定規が柔らかさを失って、決して折れない頑固な定規になりつつある。日本は反知性の先進国だ。

 

リーダー組織で一番やってはいけないことは「俺が正しいからとりあえずついてこい」という支配型組織であった。ピラミッド型社会・組織ではそういうことがありがちだが、果たしてそれは思考しているのだろうか。

 

反知性の対極にあるものは「ハック(Hack)」という考え方だったりするんじゃないかなと思ったりする。

ハックという言葉になじみのない人には「悪いこと」といったバイアスがかかっているかもしれない。しかしそうではなくて、ハックの本質は「思いもしない方法で問題を解決すること」にある。この「思いもしない方法」というのが「反知性」の対極にあるのではないか。

 

教科書主義・マニュアル主義・多数決主義・家族国家の強い日本ではなかなかハックは生まれない。

 

少し前から「デザイン思考」という考え方が普及している。これは「問題の本質を見極めて、何度も試行した末に、解決方法を見出す」ようなものだ。デザインコンサルファームIDEOが広めたもので、人々の潜在的な問題を、従来のアンケートや意見ではなくその行動から見出すという方法で、これも一種の「問題に対する解決の問題」の「ハック」だった。

 

シンゴジラよろしく、「新しい方法はありません」「誰もやったことがないのでわかりません」と等身大を言い訳に使う民族性の強い日本人にとって、「そもそも何が問題で、何が必要か」を閃くのは難しい。

 

その中で生き抜くべき生存戦略は、組織の全員に権利を与え、ゲームに参加させる、ということなんじゃないかな。みんなに考えるチャンスを与え、決める権利を与える。少しずつの滲みだした思考が大きな粋になって力を持つ機会を得るためには、アメーバ的にチームを動かすしかないと思う。

 

何が正しくて何が正しくないか、そしてそれはどこからそう思ったのか。人に話しかけてその人が走り出してしまうような答えを得るには、「ハック」しつづけなければならないとおもう。

 

 

デザイン思考が世界を変える (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

デザイン思考が世界を変える (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

IDEOの会社について、そしてデザイン思考が生まれ、どう解決していくのかがわかる。 

 

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

誰のためのデザイン? 増補・改訂版 ―認知科学者のデザイン原論

 

デザインとは問題解決のツールである。ドアノブは果たしてドアを引かせる最良の解決方法なのか。問題解決の視点でデザインを考える名著

 

 

反知性主義⑴

反知性。言葉からするとものすごい禍々しいイメージがあるかもしれません。

でも日本はすごく反知性的な傾向のある国なんだと思います。

 

本をたくさん読み、これが「正しい」ことなんだと考えて、それ以外は正しくない。

実はこれが「反知性的」という態度だったりします。教科書に載ってないから間違っている。だとか、台本がないからわからない、といった捉え方はまさにこの反知性の権威に侵されているからではないでしょうか。

 

世界はどんどん「反知性化」しています。物事を調べ、情報の権威が「ウィキペディア」や「グーグル」に置き換わっているわけです。皮肉を言えば、その意味では日本は極めて「反知性」国家として先進的だったのかもしれません。

 

反知性は人を従わせるのにはもってこいの性質です。年功序列の構造で、年配が「若い人にはわからないだろうけどこれはこういうものだよ」という態度で人を従わせやすい社会構造の会社では、目下の者に対して洗脳という機械として機能するわけです。

 

それが、マクロの視点で考えてみると、雇用者と経営者の関係でも同じことが起こります。「正しさ」の機関として経営陣が存在しているようなタイプの会社は支配的経営体質になりがちです。雇用者に対して「俺が正しい」と厚顔無恥な態度をとりながら、雇用者の事情や、内情を鑑みず人を使わせる武器として「リーダーシップ」が暴走するためです。

 

リーダーシップということに関して申し上げれば、そういった形のリーダーシップはかつては、力を発揮したものでした。それは高度経済成長で、「儲かっていた」からであって、儲かっていない時代にそういった形を率いていくのは愚かなことです。

 

今、時代に求められるリーダーシップはリーダーシップ3.0と言われる形です。

それは、引っ張るリーダーではなく「支えるリーダー」だといいます。組織に「仕える」といったような。

 

その意味では誰もがリーダーとして振舞うべきで、誰もが裁量と責任を持って成果を発揮することが求められる時代なのかもしれません。

 

 

サーバントリーダーシップ入門

サーバントリーダーシップ入門

 

 

 

シンゴジラと学ぶ日本という島国論

シンゴジラ見てきました。めっちゃ面白かった。

ゴジラ系列は、初めて見ました。

ものすごく日本の国の「傾向と対策」が明確に表現されていて非常に興味深い作品でした。

 

ゴジラは未知の存在です。未知の存在が日本に現れると国は、政治は、国民はどう動くのか。そこに国としての性格が見え隠れしてきます。

 

日本は島国です。島というのは、海があって、そこに囲まれた土地があった時に存在するものです。つまり、それ単体で島だ、というものではないですよね。日本は島国です。言い換えれば、「日本とは」は、周りありきでが定義されうるものだという性質を帯びているということです。だから何事も後発になってしまうというわけで、「グローバル」という言葉はglobe(地球)に波及した後になってしか存在しない言葉なのでグローバル化という言葉自体が後発的な性質を含んでいるようにも見えますね。

 

この辺については「日本辺境論 (新潮新書)」(内田樹)を参考に考えてみましょう。

この本のなかでは、「比較の中でしか日本のアイデンティティは存在しないそういう定義のされかたをする。本態的にそういう性質を帯びた国」だというような話が述べられています。

 

つまり、未知というものに対して全く思考停止をしてしまう民族なのです。周りに答えがあって、その答えがあるときでしか、「こう行動しよう」と決断ができない性格なのです。

 

しかし、一方で同書では「日本人は学びというものに対して適否を事前にチェックしない奇習があるものの、効率がいい」という話も載っています。すでにあるべきものに対しては最大限に効果を発揮させることができるという性質もあるわけですね。

 

ゴジラが第一段階、第二段階、第三段階と徐々に進化していくのですが、それに比例して日本自身のゴジラ(未知)に対する「学び」も第一段階、第二段階・・と進化していくわけです。一方で、日本の官僚主義トップダウンでしか意思決定ができない組織構造にはめ込まれ動けないという状態のまま、ゴジラに対して手を出せずボコボコにされてしまうわけです。ここで米国の力もあって、一度落ち着くわけですが、日本はもうめちゃめちゃで、壊滅状態でした。

 

ここを打破するのが、長谷川博己演じる矢口でした。国が壊滅状態になったとき、意思決定に対して上の障害がないため、組織を動かして日本の「学び力」を生かし、ゴジラの打倒策を練り上げます。ここにはスクラップアンドビルドを通じて構造改革を行い続けてきた日本の姿がありありと見えます。

 

学んだことに対する威力はずば抜けて発揮できる民族ですから、矢口の考えた作戦は功を奏しました。

 

日本辺境論 (新潮新書)」によると、日本人は未知の問題に対して「未知」を「道」にして諦める癖があります。「そういうもの」と受け入れる国民性の究極性が「道」という考え方に表れているわけです。

 

これからは未知の時代です。未知と向き合うためには「学ぶ」こと、そしてそれを最大限に発揮できる構造を持つことが必要だということ。このことをゴジラは教えてくれたように感じました。

 

(おまけ) ところで、アベノミクス第三の矢は「構造改革」です。ここに関してもひょっとしたらゴジラから学べるところなのかもしれません。

 

 

 

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

 

 

モノを消費する時代からコトを消費する時代へ

ものの豊かさという時代がおわり、日本だと今ではバブル崩壊後失われた20年なんて呼ばれる今の世の中ですが、世の中の若者は思っているほど不幸せではなかったりします。

 

若者は、貧しければそのなかで幸せを生み出す。人とはそういうものだと社会学者の古市憲寿は言います。だから社会全体でみたときの貧しさには人は以外と気づきにくいものなのかもしれません。

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

 

 

そんな世の中ですが、人の消費のあり方が変わりつつあります。それは、ものを消費するのではなくコトを消費するようになってきつつある、というものです。代官山の蔦屋書店 にいけば、そこには本ではなく「ライフスタイル」を売っていることに気づきます。何を買うかではなく、「どう生きるか」自体が商品になる時代です。「もの」ではなくその生き方をする「こと」が商品なのです。

 

ライフスタイルということばは「嫌われる勇気」で有名になったアドラーがはじめて使ったと言われてますが、人々は豊かさの結果、ものではなくスタイルを求めるように変遷してきました。

 

そんななかで「もの」や「トレンド」中心だったファッションもまた変遷をとげ、

人が「ファッションに向けていたこだわり」が食やあらゆるものにまで侵食しはじめました。ここにきてファッション誌が部屋の構成やガジェット、あらゆるものを扱い始めた意図が見えてくるわけです。

 

一方で「もの」中心に重きを置いていた百貨店などは苦行を強いられます。ここの趣好だけでは埋められないライフスタイルショップの"溝"を狙っているようです。

 

「自分にとって意味のあるもの」を求める時代が来て、いわゆる「マス」が死んだ今では自分にとって何が重要かを考える指針が必要になってきます。

 

昨今のキュレーションメディアというのは自分の趣向を反映して情報を集めてくれるマスから「個」の時代への変遷の途中に必要な存在だったように思います。

 

イギリスのEU離脱もそうですが、ポストグローバリズム、いったん合体したものが個々の誇りや好みを考えて、個別に価値判断をして生きて行く時代が訪れているように感じます。

 

経済ものまた変わろうとしています。消費・生産を続けるのではなくループを定常的に保持する、「定常的経済」への変換がやってきています。ポスト資本主義とでもいうような、等身大の消費を求める経済のありかたが、「消費と生産をトントンにして」必要なものを必要な分だけしか求めない時代になりつつあります。

 

ミニマリズムや、半農の人が増えつつあるのもそういう影響があるでしょう。

 

管付雅信の「物欲なき世界」はそんなことを考えさせられる本でした。これからの自分を等身大で、生きて行く。そしてマスに流されず自分にとって大事なことは持ち続ける

等身大のあるべき姿で生きて行く時代の変遷を感じられる一冊でした。

物欲なき世界

物欲なき世界