シンゴジラと学ぶ日本という島国論

シンゴジラ見てきました。めっちゃ面白かった。

ゴジラ系列は、初めて見ました。

ものすごく日本の国の「傾向と対策」が明確に表現されていて非常に興味深い作品でした。

 

ゴジラは未知の存在です。未知の存在が日本に現れると国は、政治は、国民はどう動くのか。そこに国としての性格が見え隠れしてきます。

 

日本は島国です。島というのは、海があって、そこに囲まれた土地があった時に存在するものです。つまり、それ単体で島だ、というものではないですよね。日本は島国です。言い換えれば、「日本とは」は、周りありきでが定義されうるものだという性質を帯びているということです。だから何事も後発になってしまうというわけで、「グローバル」という言葉はglobe(地球)に波及した後になってしか存在しない言葉なのでグローバル化という言葉自体が後発的な性質を含んでいるようにも見えますね。

 

この辺については「日本辺境論 (新潮新書)」(内田樹)を参考に考えてみましょう。

この本のなかでは、「比較の中でしか日本のアイデンティティは存在しないそういう定義のされかたをする。本態的にそういう性質を帯びた国」だというような話が述べられています。

 

つまり、未知というものに対して全く思考停止をしてしまう民族なのです。周りに答えがあって、その答えがあるときでしか、「こう行動しよう」と決断ができない性格なのです。

 

しかし、一方で同書では「日本人は学びというものに対して適否を事前にチェックしない奇習があるものの、効率がいい」という話も載っています。すでにあるべきものに対しては最大限に効果を発揮させることができるという性質もあるわけですね。

 

ゴジラが第一段階、第二段階、第三段階と徐々に進化していくのですが、それに比例して日本自身のゴジラ(未知)に対する「学び」も第一段階、第二段階・・と進化していくわけです。一方で、日本の官僚主義トップダウンでしか意思決定ができない組織構造にはめ込まれ動けないという状態のまま、ゴジラに対して手を出せずボコボコにされてしまうわけです。ここで米国の力もあって、一度落ち着くわけですが、日本はもうめちゃめちゃで、壊滅状態でした。

 

ここを打破するのが、長谷川博己演じる矢口でした。国が壊滅状態になったとき、意思決定に対して上の障害がないため、組織を動かして日本の「学び力」を生かし、ゴジラの打倒策を練り上げます。ここにはスクラップアンドビルドを通じて構造改革を行い続けてきた日本の姿がありありと見えます。

 

学んだことに対する威力はずば抜けて発揮できる民族ですから、矢口の考えた作戦は功を奏しました。

 

日本辺境論 (新潮新書)」によると、日本人は未知の問題に対して「未知」を「道」にして諦める癖があります。「そういうもの」と受け入れる国民性の究極性が「道」という考え方に表れているわけです。

 

これからは未知の時代です。未知と向き合うためには「学ぶ」こと、そしてそれを最大限に発揮できる構造を持つことが必要だということ。このことをゴジラは教えてくれたように感じました。

 

(おまけ) ところで、アベノミクス第三の矢は「構造改革」です。ここに関してもひょっとしたらゴジラから学べるところなのかもしれません。

 

 

 

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)