読書論のススメ

読書。それは本を読むことですが、その読書について考える機会は意外とありません。

 

読書について 他二篇 (岩波文庫)

読書について 他二篇 (岩波文庫)

 

読書論で、 有名なのがショウペンハウエルの「読書について」。読書というのは本を読むことで他人の思考を追うことであり、ひいては自らの思考停止につながると断言している読書に対して警鐘を鳴らしているような本です。

確かにそこに「読むだけ」の行動ならその危険性はあるかもしれません。本をどう読むかによってそこから取り出される事実は全く異なりうるのです。本から私たちは何を得ているのでしょうか。

 

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫)

 

 テクスト論として非常に鋭い指摘をしている本があります。

それが、この「読んでいない本について堂々と語る方法」です。

本を読むことは著者に従属することだ、とか創造力を失う、

という指摘もありますが、なかでも注目したいのは人と人との間に本があるというもの。

 

本が織りなすコンテンツは読んだ人と本の間にできる「読んだ人の中の内なる図書館」とその本について語れる人同士の「内なる図書館」の重ね合わせで得られる「仮想的な図書館」だと言います。

 

私たちは本を読んでいるのではなく、本と読んでいる人の間の「本」を読んでいるにすぎません。100%読んだという定義はどこにもなく、誰しもが「読んでない」とも言えるし「読んだ」とも言える。本と自分との関係を見出して感じればそれは読書としての効用はすでに得られている。そんなことが書かれています。

 

例えば、サラリーマンが読んでも居ないのに電車のつり革に書かれた「中年の品格」という本の広告に対してブツブツ言っているとしましょう。それでもうその本とそのサラリーマンとの関係はできあがっているし、本がコンテンツを生み出しているとも解釈できますね。

 

世の中には情報が指数関数的にあふれています。自分の中で降り注ぐ情報の雨から身を守る傘が必要です。テクスト論や読書論は情報中毒に陥りがちな現代人にその危険性と、意味を明確に訴えかけてきてハッとさせられることも多いかと思います。