働くことの効用 - 結論で読む幸福論・コンビニ人間

幸せってなんだっけ。不意にそんな気持ちになることがある。

そこでこんな本を見つけた。

 

 

かたちがなくて、かたちがないからこそいいように使われてきた存在。

それが幸せの『実体』なのかもしれない。

 

資本主義では、幸せの定義を「XXXじゃないこと」と定義したがる。

なぜなら、その方が経済の発展に幸せを利用できるからだ。

 

結婚してないことは幸せじゃない。子供がいないことは幸せじゃない。

恋人が居ないことは幸せじゃない。お金がないことは幸せじゃない。

 

こうすることでお金を手にいれたら、次は恋人がいないからダメ。

恋人を手に入れたら、結婚していないからダメ。

 

そういう呪詛に幸せは使われてきた。

しあわせの実体はそういうもんなのである。

本書では、幸せの定義を歴代の哲学者、詩人、芸能人、あらゆる人の発言を通して考察をしている。

 

興味深かったのは

相田みつをの「幸せはいつも自分の心が決める」と

カールヒルティの「仕事に完全に没頭できる働き人はもっとも幸福」

というもの。

 

この二つの考え方と

少し前に、「コンビニ人間」の文庫本を読んだが、それと結びつけて考えたい。

 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 

この本では、社会の流れとは違って、年もいくつかとって、恋人もいない、定職もない、けど、コンビニでは輝ける人間の主人公の生活を強く描かれている。

 

昔からの知り合いや妹に会えば、

「早くいい人見つけてほしい」とか、「手に職つけてほしい」とか、

人間社会ルール(強いオスがよいメスと結ばれ社会発展に貢献するべき)という価値観でたくさん殴られる。そのルールの中では主人公は異物だ。

 

けど、コンビニでは自分は人間ではなく「コンビニ店員」という生き物として同質化する。そこに安心感がある。会社で働いて成果を出して自分のアイデンティティを持っている人はこういう感覚になんとなくのシンパシーを感じざるをえないのではないだろうか。

 

だから、働いていてそれだけを楽しめる人は「しあわせ」でいいのかもしれない。

だって、「幸せはいつも自分の心がきめる」ものだから。

 

 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)