地の利の科学
四月。北朝鮮とアメリカの睨み合いで経済は波乱の一か月だった。
一見すると、それだけのように見える。けど真実はこうだ。
ランドパワーの中国とシーパワーのアメリカの睨み合い。
地政学という学問はこういう眼を与えてくれる学問だ。
地政学を学ぶことで、「地の利」と政治の関係を学ぶことができる。
地政学の祖と呼ばれるのはマッキンダー。彼はイギリスの地理学者。
彼は著書の中で次のようなことを提唱している
世の中は二つの力に分かれる。大陸をもち陸の力を制するランドパワーの勢力と、
海の力を制するシーパワーの勢力にわかれる。
そして、世界の真ん中に存在する世界島(ユーラシア大陸)の心臓部分(今でいうところのロシア・中国あたり)を制する者は、この世界を制するだろう。
これがものすごくざっくりとした地政学の世界観だ。
加えて、中国・ロシアは陸を収めし、ランドパワー、アメリカはシーパワーである。
アメリカも大きな大陸をもっているからランドパワーのように見えるが、国を大陸としてみるか・島としてみるかの定義は、周囲に脅かす国々が存在するかどうか、である。
アメリカは武力で周りから直接脅かす存在がないという点で、島なのである。
分類にはシーパワーにあたる。
それでいうと日本もシーパワーだ。シーパワー国家では、国土が小さければ小さいほど、国土を守るために必要な武力も少量で済む。持て余した武力を外部の植民地化に割くことができ、侵略を積極的にできる特徴がある。その文脈でみれば、イギリスのようにかつて大きく植民地を持ったことも納得できよう。
ニュースでなんなく流れていることがらも、地政学の眼鏡をかけるだけで、勢力が逆転したり、見方が大きく変わったりもする。
世の中は思ってるほど簡単じゃないけど、思ってるほど複雑でもないかもしれない。
- 作者: ハルフォード・ジョンマッキンダー,Halford John Mackinder,曽村保信
- 出版社/メーカー: 原書房
- 発売日: 2008/09/27
- メディア: 単行本
- 購入: 2人 クリック: 30回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
視座の変化
今年から会社がスクラムをやり始めた。
それもあって、ここ数ヶ月、エンジニア兼スクラムマスターとして働いていた。
振り返ってみると転職した当時と自分の視座が大きく変わったので簡単にメモ。
「できるエンジニアになるんだ(キリ」
そうなってた自分が恥ずかしいくらいに視点が変わってた。
個人のできることは限られているし、自分のエンジニアリングも大したことない。
組織で働くことの意味はレバレッジをつかえることにある。
会社規模が100人くらいの会社の人は、自分一人の100倍以上のことが組織で成し遂げられる可能性を持っている。
自分がどう働くか、はもちろん大事。
けど、自分自身が組織、事業のレイヤーでどこにいるのかをわかって、それをうまくつかったほうが結果もコミットできるし、自分の負担も軽減できる。
スクラムをやっててそれは強く感じたところ。
スクラムは組織の自己組織化を促進する。
自己組織化というのは、言ってみれば自分たちでどうするかをかんがえて、
組織自体がまるで一つの生命体のように振る舞えるようになること。
それこそまさに組織で働くことの魅力だし、価値だ。
だから今は「自分は」という主語は捨てて、「私たちは」とか「〇〇(事業名)として」という表現になってきつつある。
有機体の一部であることは、見方によっては社会の歯車に見えるかもしれない。
けど歯車はそれ単体では何にもならないが、有機体の一部もまた思考を持っていて、
それ自体で動くことができる。
これが、高度経済成長時代の組織と今の組織のあり方の差分なんだろうな。
転職おじさん。
去年、職場を変えたが、ものすごく働きやすい環境で満足している。
友達の仕事の辛い話を聞いたりするときによく口に出るのは、「石の上にも三年」論理だ。三年経つまでは転職しないということだ。
思うに、
日本人は「置かれた場所で咲きなさい」の理屈が強すぎる。
自分の行った選択を重んじて、素早く切り替えたり、省みるのが苦手だ。
ひょっとするとそれは農耕民族だからかもしれない。
狩猟民族だと、素早い判断が求められるのに、農耕民族は結果が出るまで待つという判断をする。肉食動物相手だとそんなことしてると首根っこを食いちぎられかねない。
こういうのを見ると思うのが「日本は最も成功した社会主義国だ」という言葉だ。
同調圧力、無宗教という宗教、小さな文化の積み重ねが社会の意識の礎を築いている。
でも大事なのは「置かれた場所で咲けるか」だとおもう。
人間は、移動できる。咲くのに必要な水分や日光を求めて。
自分の人生の一日、一日はもう二度とやってこない。
後悔したその日も、ストレスを抱えて働いたその日も。
だから決断はすばやくし、行動をしたほうがいい。
そう思ってるから友達に、本質的に問題を感じていて、それを自分で解決できないなら転職をしてみたらいいと勧めるようになった。
完全に転職おじさんである。
ソフトウェアはだいじ。
優秀なチームであってもチームとしての意識がなければ、烏合の衆に過ぎない。
ソフトウェアは、人間で言うところの考え方や性格にあたるものだ。
むしろ人間のそれこそソフトウェアとも考えられる。
そう考えれば、会社組織や、チーム、自分の性格....ソフトウェアはあらゆるところを支配する。
どれだけ立派なハードウェアがあってもソフトウェアがアップデートされなければ使えないことも多い。
日本の会社で得意なのは物作りだ。物作りにいたっては「仏つくって魂入れず」なんて言葉もあるくらい作る人の「精神(ソフトウェア)」を重視するのに、そのつくったものを使う人のことまでは目がいかない。ハードウェア屋さんが失敗するよくあるパターンだ。
iPhoneが成功したのはそれを使う方法や価値観(ソフトウェア)の提供に力を入れたからだ。
世の中は、物(ハードウェア)とコト(ソフトウェア)の時代を行ったり来たりする。
UI/ UXというわけかたはいわば、UI(物)とUX(コト)なのだとも考えられる。
何かを作る人はそれを使う人のソフトウェアも同時に提供しなければならない。
それが作る人の責任でもあり、本質的なサービスのあり方だからだ。
ゲームも、ゲームと取り扱い説明書があって、それ自身がサービスになる。
リテラシーとつくったものを同時に提供することが大切なのだ
2016 to 2017
あけましておめでとうございます。今年の抱負/去年の振り返りをしたいと思います。
□ 振り返り
キーアイテム: 親知らず
去年は親知らずを生まれて初めて抜きました。
でも抜いたのは歯の生え方ではなく虫歯だったからです。
これがこの一年を象徴するアイテムでした。
そこに居て気がつくと穴が空いていて、取らざるを得なくなった。
自分に足りないもの、できないこと、不満、ネガティブなものを触れることで初めて見つけられてそこから自分の次の一手を考えたということです。
[ 転職/作るものの変遷/経済・金融への興味/マーケティングへの興味/経営への興味/関数型プログラミング ]
整理しつつ自らを拡張した一年だったと思います。それを踏まえて深度を深めて行くのがことの一年にしたい。
去年のテーマはSexyでした。これは物事の体感性や言葉にできないものを自らで感じ取っていくという意味です。わからなかったらとりあえずやってみる、手を動かす、感じてみるといったことです。
■ 抱負
テーマ: Fuzzy
今年のテーマはFuzzyです。自分の今までのポジションから少し曖昧(fuzzy)になって、人を動かしたり影響を与えるという場所へ移動すること。言語化できない潜在的な人の曖昧な欲求を汲み取ること。自分の職業すらも曖昧になって拡張した自分をどんどん掘り進んで行くこと。これがテーマの意図です。
■ 企業価値についてしっかりとした理解
■ 組織としてやるべきことに合わせて自らが率先して行動できるようになること
■ より多くの人と関われるようになること
□ 他のアーキテクチャをコンテキストも理解した上で把握し使いこなせるようになる
□ end to endでのものづくりを行ってみること
□ やるべきこととやりたいことを明確に定義し、時間という変数でコントロールできるようにする。
■ サイトつくる
■ ゲームセンターつくる
■ 日本語の文章をうまくなる
昨年はより多くの人にお世話になり社会人2年目が終わりました。(年度的にはまだです)時計の針のチクタクのように、与えられた恩は必ず次のタイミングでお返ししなければなりません。よりよい仕事をし、信頼を獲得し、お客さんに価値をしっかりと提供できる組織づくりにコミットできればとおもいます。
今年も宜しくお願い致します。
エンジニアのあるべき論に対して思うこと
エンジニアってこれがいいよね、みたいな同調圧力が強くてダルくなることがある。
ライブラリを作って公開して、いっぱい星がついて、そういうエンジニアが最高だ。
みたいな風潮のことです。
既視感を感じたけど、よくよく大学の理学部と工学部の関係に近いかもしれないと思い始めた。
お互いそういうエンジニアが求めているものが違うんじゃないかなと思うことにした。
・物事に対して本質的な理解・解析・理論構築を行い、その先へ向かうのを大切にするエンジニア。(理学タイプ)
・物事に対して実用性を理解して理論はあまり見ずに応用的な機能・意味を重視するエンジニア。(工学タイプ)
研究畑から出てきた人は前者になりやすく、それ以外から出てきた人は後者になりやすい傾向にある。
悩ましいのは、どちらもビジネスに携わっているところです。
飛び道具的に後者のタイプが重視された結果、リテラルだけもつエンジニアが蔓延し奥底の理解が及ばないままになり、前者と後者の割合が偏りそうな危険を感じている。
お互いが相補的に価値を提供しあうのが一番の解決策だが、工学タイプの価値重視になると理学タイプの人間が委縮してしまうんじゃないか。
すこし行動経済学でノーベル賞とった「ファスト&スロー」のカーネマンの話に近い。
人間は価値判断を近視的にしがちになるが、それは非合理なことが多い。だから本質をじっくり考えて行動すべきだ
というの「ファスト&スロー」の大まかなフレームです。
だから世の中のメインストリームと全く同じフレームで評価されるために向かう必要はあまりない。自分が戦うべき場所を自分で分析して見極めて戦ったほうがいい。
ブルーオーシャンは相対的にあるものであって、絶対的に存在するわけではない。
余談だが、人間はここ数百年でとてつもなく馬鹿になっているらしい。
文明・文化・集団、あらゆるバイアス・同調圧力で自らの価値判断の基準を損ねていないか、考えて行動すべきかもしれません。
社会的パラダイムが即時性・実用性に向けば向くほど、人間の向くべき方向はどんどん馬鹿に向かっていくことになるので、世の中の向いている方向はそもそも正しいのかを考える癖をつけようと思った。
ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: ダニエル・カーネマン,村井章子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/06/20
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (23件) を見る
ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
- 作者: ダニエル・カーネマン,村井章子
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2014/06/20
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (13件) を見る