モノを消費する時代からコトを消費する時代へ

ものの豊かさという時代がおわり、日本だと今ではバブル崩壊後失われた20年なんて呼ばれる今の世の中ですが、世の中の若者は思っているほど不幸せではなかったりします。

 

若者は、貧しければそのなかで幸せを生み出す。人とはそういうものだと社会学者の古市憲寿は言います。だから社会全体でみたときの貧しさには人は以外と気づきにくいものなのかもしれません。

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

 

 

そんな世の中ですが、人の消費のあり方が変わりつつあります。それは、ものを消費するのではなくコトを消費するようになってきつつある、というものです。代官山の蔦屋書店 にいけば、そこには本ではなく「ライフスタイル」を売っていることに気づきます。何を買うかではなく、「どう生きるか」自体が商品になる時代です。「もの」ではなくその生き方をする「こと」が商品なのです。

 

ライフスタイルということばは「嫌われる勇気」で有名になったアドラーがはじめて使ったと言われてますが、人々は豊かさの結果、ものではなくスタイルを求めるように変遷してきました。

 

そんななかで「もの」や「トレンド」中心だったファッションもまた変遷をとげ、

人が「ファッションに向けていたこだわり」が食やあらゆるものにまで侵食しはじめました。ここにきてファッション誌が部屋の構成やガジェット、あらゆるものを扱い始めた意図が見えてくるわけです。

 

一方で「もの」中心に重きを置いていた百貨店などは苦行を強いられます。ここの趣好だけでは埋められないライフスタイルショップの"溝"を狙っているようです。

 

「自分にとって意味のあるもの」を求める時代が来て、いわゆる「マス」が死んだ今では自分にとって何が重要かを考える指針が必要になってきます。

 

昨今のキュレーションメディアというのは自分の趣向を反映して情報を集めてくれるマスから「個」の時代への変遷の途中に必要な存在だったように思います。

 

イギリスのEU離脱もそうですが、ポストグローバリズム、いったん合体したものが個々の誇りや好みを考えて、個別に価値判断をして生きて行く時代が訪れているように感じます。

 

経済ものまた変わろうとしています。消費・生産を続けるのではなくループを定常的に保持する、「定常的経済」への変換がやってきています。ポスト資本主義とでもいうような、等身大の消費を求める経済のありかたが、「消費と生産をトントンにして」必要なものを必要な分だけしか求めない時代になりつつあります。

 

ミニマリズムや、半農の人が増えつつあるのもそういう影響があるでしょう。

 

管付雅信の「物欲なき世界」はそんなことを考えさせられる本でした。これからの自分を等身大で、生きて行く。そしてマスに流されず自分にとって大事なことは持ち続ける

等身大のあるべき姿で生きて行く時代の変遷を感じられる一冊でした。

物欲なき世界

物欲なき世界