反知性主義⑴

反知性。言葉からするとものすごい禍々しいイメージがあるかもしれません。

でも日本はすごく反知性的な傾向のある国なんだと思います。

 

本をたくさん読み、これが「正しい」ことなんだと考えて、それ以外は正しくない。

実はこれが「反知性的」という態度だったりします。教科書に載ってないから間違っている。だとか、台本がないからわからない、といった捉え方はまさにこの反知性の権威に侵されているからではないでしょうか。

 

世界はどんどん「反知性化」しています。物事を調べ、情報の権威が「ウィキペディア」や「グーグル」に置き換わっているわけです。皮肉を言えば、その意味では日本は極めて「反知性」国家として先進的だったのかもしれません。

 

反知性は人を従わせるのにはもってこいの性質です。年功序列の構造で、年配が「若い人にはわからないだろうけどこれはこういうものだよ」という態度で人を従わせやすい社会構造の会社では、目下の者に対して洗脳という機械として機能するわけです。

 

それが、マクロの視点で考えてみると、雇用者と経営者の関係でも同じことが起こります。「正しさ」の機関として経営陣が存在しているようなタイプの会社は支配的経営体質になりがちです。雇用者に対して「俺が正しい」と厚顔無恥な態度をとりながら、雇用者の事情や、内情を鑑みず人を使わせる武器として「リーダーシップ」が暴走するためです。

 

リーダーシップということに関して申し上げれば、そういった形のリーダーシップはかつては、力を発揮したものでした。それは高度経済成長で、「儲かっていた」からであって、儲かっていない時代にそういった形を率いていくのは愚かなことです。

 

今、時代に求められるリーダーシップはリーダーシップ3.0と言われる形です。

それは、引っ張るリーダーではなく「支えるリーダー」だといいます。組織に「仕える」といったような。

 

その意味では誰もがリーダーとして振舞うべきで、誰もが裁量と責任を持って成果を発揮することが求められる時代なのかもしれません。

 

 

サーバントリーダーシップ入門

サーバントリーダーシップ入門

 

 

 

シンゴジラと学ぶ日本という島国論

シンゴジラ見てきました。めっちゃ面白かった。

ゴジラ系列は、初めて見ました。

ものすごく日本の国の「傾向と対策」が明確に表現されていて非常に興味深い作品でした。

 

ゴジラは未知の存在です。未知の存在が日本に現れると国は、政治は、国民はどう動くのか。そこに国としての性格が見え隠れしてきます。

 

日本は島国です。島というのは、海があって、そこに囲まれた土地があった時に存在するものです。つまり、それ単体で島だ、というものではないですよね。日本は島国です。言い換えれば、「日本とは」は、周りありきでが定義されうるものだという性質を帯びているということです。だから何事も後発になってしまうというわけで、「グローバル」という言葉はglobe(地球)に波及した後になってしか存在しない言葉なのでグローバル化という言葉自体が後発的な性質を含んでいるようにも見えますね。

 

この辺については「日本辺境論 (新潮新書)」(内田樹)を参考に考えてみましょう。

この本のなかでは、「比較の中でしか日本のアイデンティティは存在しないそういう定義のされかたをする。本態的にそういう性質を帯びた国」だというような話が述べられています。

 

つまり、未知というものに対して全く思考停止をしてしまう民族なのです。周りに答えがあって、その答えがあるときでしか、「こう行動しよう」と決断ができない性格なのです。

 

しかし、一方で同書では「日本人は学びというものに対して適否を事前にチェックしない奇習があるものの、効率がいい」という話も載っています。すでにあるべきものに対しては最大限に効果を発揮させることができるという性質もあるわけですね。

 

ゴジラが第一段階、第二段階、第三段階と徐々に進化していくのですが、それに比例して日本自身のゴジラ(未知)に対する「学び」も第一段階、第二段階・・と進化していくわけです。一方で、日本の官僚主義トップダウンでしか意思決定ができない組織構造にはめ込まれ動けないという状態のまま、ゴジラに対して手を出せずボコボコにされてしまうわけです。ここで米国の力もあって、一度落ち着くわけですが、日本はもうめちゃめちゃで、壊滅状態でした。

 

ここを打破するのが、長谷川博己演じる矢口でした。国が壊滅状態になったとき、意思決定に対して上の障害がないため、組織を動かして日本の「学び力」を生かし、ゴジラの打倒策を練り上げます。ここにはスクラップアンドビルドを通じて構造改革を行い続けてきた日本の姿がありありと見えます。

 

学んだことに対する威力はずば抜けて発揮できる民族ですから、矢口の考えた作戦は功を奏しました。

 

日本辺境論 (新潮新書)」によると、日本人は未知の問題に対して「未知」を「道」にして諦める癖があります。「そういうもの」と受け入れる国民性の究極性が「道」という考え方に表れているわけです。

 

これからは未知の時代です。未知と向き合うためには「学ぶ」こと、そしてそれを最大限に発揮できる構造を持つことが必要だということ。このことをゴジラは教えてくれたように感じました。

 

(おまけ) ところで、アベノミクス第三の矢は「構造改革」です。ここに関してもひょっとしたらゴジラから学べるところなのかもしれません。

 

 

 

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

 

 

モノを消費する時代からコトを消費する時代へ

ものの豊かさという時代がおわり、日本だと今ではバブル崩壊後失われた20年なんて呼ばれる今の世の中ですが、世の中の若者は思っているほど不幸せではなかったりします。

 

若者は、貧しければそのなかで幸せを生み出す。人とはそういうものだと社会学者の古市憲寿は言います。だから社会全体でみたときの貧しさには人は以外と気づきにくいものなのかもしれません。

絶望の国の幸福な若者たち

絶望の国の幸福な若者たち

 

 

そんな世の中ですが、人の消費のあり方が変わりつつあります。それは、ものを消費するのではなくコトを消費するようになってきつつある、というものです。代官山の蔦屋書店 にいけば、そこには本ではなく「ライフスタイル」を売っていることに気づきます。何を買うかではなく、「どう生きるか」自体が商品になる時代です。「もの」ではなくその生き方をする「こと」が商品なのです。

 

ライフスタイルということばは「嫌われる勇気」で有名になったアドラーがはじめて使ったと言われてますが、人々は豊かさの結果、ものではなくスタイルを求めるように変遷してきました。

 

そんななかで「もの」や「トレンド」中心だったファッションもまた変遷をとげ、

人が「ファッションに向けていたこだわり」が食やあらゆるものにまで侵食しはじめました。ここにきてファッション誌が部屋の構成やガジェット、あらゆるものを扱い始めた意図が見えてくるわけです。

 

一方で「もの」中心に重きを置いていた百貨店などは苦行を強いられます。ここの趣好だけでは埋められないライフスタイルショップの"溝"を狙っているようです。

 

「自分にとって意味のあるもの」を求める時代が来て、いわゆる「マス」が死んだ今では自分にとって何が重要かを考える指針が必要になってきます。

 

昨今のキュレーションメディアというのは自分の趣向を反映して情報を集めてくれるマスから「個」の時代への変遷の途中に必要な存在だったように思います。

 

イギリスのEU離脱もそうですが、ポストグローバリズム、いったん合体したものが個々の誇りや好みを考えて、個別に価値判断をして生きて行く時代が訪れているように感じます。

 

経済ものまた変わろうとしています。消費・生産を続けるのではなくループを定常的に保持する、「定常的経済」への変換がやってきています。ポスト資本主義とでもいうような、等身大の消費を求める経済のありかたが、「消費と生産をトントンにして」必要なものを必要な分だけしか求めない時代になりつつあります。

 

ミニマリズムや、半農の人が増えつつあるのもそういう影響があるでしょう。

 

管付雅信の「物欲なき世界」はそんなことを考えさせられる本でした。これからの自分を等身大で、生きて行く。そしてマスに流されず自分にとって大事なことは持ち続ける

等身大のあるべき姿で生きて行く時代の変遷を感じられる一冊でした。

物欲なき世界

物欲なき世界

 

 

菩薩のいたみち。

「悟り」ということばを聞くと人はどんなイメージを抱きますか。

仏教の三つの情炎ー嫉妬と怒り、妄想。それらを無にできたら仏になれそう。

そんなイメージではないでしょうか。

 

ですが、ブッダは、実はそもそも「ただの人」であることが、多くの人の心の支えになっている、その理由だったりします。

 

ところで、「諦める」ということばは仏教にかなり関わりがある言葉です。

「漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する」(参考)

とのことです。

自分が今まで感じていたものに対して、一歩引いて自分の意見と他の意見に対して両方を理解しようとして「ああ、それはそういうものなんだ、なるほど、そういうものか。」ーこの気持ちが「諦め」に近いとも言えます。

 

つまり、むしろブッダは、「何が正しいか」や「どうあるべき」ということはあまりはっきり説いて押し付けたりはしないで、大きな心で「まあそんなこともあるよね」そう受け入れるからこそ、様々な人を救ったと言えます。

 

草薙龍瞬によれば人が悩まないためには、心の半分を自分の心の動きに視点を据えて、もう半分を相手の人のために据えることがコツだといいます。

 

(自分の)心の出来事や、相手の言葉、心の動きを最初の方の三つの情炎ーにカテゴライズして、なんだ、これって妄想(思い込み)じゃないか、とかこの怒りはただの嫉妬じゃないか、と冷静に考えていくことで、悩み事と向かって心や体が反応して、体力を消耗することはさけられます。

 

ああだのこうだのいろんな意見もあるし、いろんな人もいるけど、みんなの考え方は多種多様であるし、世の中そういうもんだよね。ーそう捉えられた時に「諦」の感覚を得られると言います。

 

常に等身大で自分を、人を見つめ続けることが無駄なことに体力を使わないですむ生き方だと思います。

 

反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」には、ブッダの合理的な考え方、物事の捉え方の基本がわかりやすく説明されています。気を楽にして肩の力を抜いて生き抜くための世渡り術のヒントが多く含まれており、だからこそ仏教というものが、未だに世の中の人の役に立っているのかもしれません。

 

今になって振り返れば、仏教には人生のヒントが散りばめれていることがすこしだけわかるような気がします。他の宗教に比べればカジュアルでもありますし、普通の人が「諦め」の末にブッダになったという側面もあるため、「一切衆生悉有仏性」(誰しもが仏になる性質を秘めている)という言葉もあります。

 

すこし息苦しさを感じたら、ブッダの言葉に耳を傾けてみるのもいいかもしれません。

 

 

スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)

スッタニパータ [釈尊のことば] 全現代語訳 (講談社学術文庫)

 

 

諦めること。そして、諦めないこと。

きっと、あの人はこう思ってる。人は他人のことを自分の立場に置き換えて考えてしまいがちだ。

 

けれども、そこにはエゴがある。人の考えなんてお見通しだ。というエゴだ。

 

そのエゴー言ってみれば一種の呪いのようなものーから解き放たれるためには、

いろんなことをシミュレーションし、打ちのめされたり、人との違いを知る経験が必要だ。

 

どこかの俳優がこんなことを言っていた。ー「自分が出ている映画の役に満足がいかず、どう考えても主役の方が向いてる、と監督に噛み付いたことがあったが、今なら監督の役配分が正しかったと理解出来る」。自分のエゴに囚われたり、自分の気持ちに依存したり、自分に対する防衛本能が自分を盲目にしてしまう。少し離れた視点で客観的に見れば自分が愚かだったと気づくこともあるし、逆に自分がその場所にいなければならない理由や意味もわかるかもしれない。

 

何かにたいして怒ったり、不満におもったら自分に問う癖をつけよう。

それは本当に存在するのか。自分が感じているだけなのではないか。

真実(実際に起こった客観的なこと)はひとつだけども、感じたことはみな違う。

例えば株式相場では市場にはマイナスの要素もなくプラスの要素もなく、安い値段で買った人に取って高く「見える」のであって、そこには符号を持たない情報が含まれている。メディアもまた、情報はひとつであって、そこに見る人の「色」が乗る。ジャーナリストから伝わる、ジャーナリズムはあっても、情報自体にジャーナリズムはないのだ。

 

「色」は常に危険だ。前に見た情報を優位付けたり、自分の行動を正当化しようとする気持ちが働いたりする。気持ちが合理的なのか、言い訳をしようとしてるのではないか、常に色に気をつければ、くだらないことで何かを失ったり、もったいない結末を迎えずに済みそうだ。

 

 人の行動バイアスについて知りたくなったらファスト&スローがオススメだ。

行動経済学ノーベル経済学賞をとったカーネマンの著書であり、いかに人の心理が

合理的に見えてもどこまでも偏見はついてくるのか、くどく説明してある。

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
 

 

ファスト&スロー (下)

ファスト&スロー (下)

 

 

 人との関わり方をじっくり考えたくなったら、カーネギーの本を読むと良い。

肩こりをほぐしてくれるようなおじいさんのお話で、目の前のストレスをどう捉えたら霧散できるかを明快に説明してくれる。人に期待しすぎないこと、けれども諦めないこと。優しい心の持ち方を、様々なエピソードを通して教えてくれるのだ。自分の悩みに向き合いたい方は「道は開ける」を、人との関係を考えたい方は「人を動かす」がいい。

 

道は開ける 文庫版

道は開ける 文庫版

 

 

 

人を動かす 文庫版

人を動かす 文庫版

 

 

諦めたくないけど、諦める。諦めるけど、諦めない。自分に対しての諦めと、人に対して諦めない気持ちが何事も大事だとおもう。

なぜギークは良い作り手になりうるのか

いい聞き手はいい話し手になりうる。

いい読み手はいい書き手になりうる。

 

こういう言葉を聞いたことがあるかもしれません。

 

年下なのにしっかりしてる、あるいは若いのにも関わらず目上の人にも話を聞くし、年下の人にたいしても見下したりしない。こういうことができる人が世の中には少ないもののいます。こういう人の特徴はなんでしょうか。

 

どちらも自分の中にあらゆるレベルでの自分を持っていて、それを巧みに使い分けられられることが特徴かもしれません。

 

自分と階層・文化・年齢・仕事、あらゆる方向で差がある人に対して「共感できる」ことこそ、その人から話を理解するために必要だったりします。逆説的に言えば、伝えたい人の人格を理解してなりきれれば、伝えたい人に伝えられるのかもしれません。

 

そういう特徴を身につけるためにはどういうことが必要なんでしょうか。

知識と知恵。一文字違いですが、一方は文字の羅列として情報化されたもの、一方は自分にとっての意味を持った「有機的な情報」です。知識を知恵に転化するためには、自分の仕事に対しても人に頼んだ仕事、行った仕事に対して、「シミュレーションと反省」の習慣を身につけることが大切だと「仕事の技法 (講談社現代新書)」で田坂広志は言います。これからやる仕事は何が問題なのか、何が起こりうるか、そういうことが気にしながら実行し、実行終えた仕事は、何が問題だったか、何が重要だったか、勘所とも言える「てこ」の部分を理解しておくことが重要です。そこには

仕事の技法 (講談社現代新書)

仕事の技法 (講談社現代新書)

 

 

何かを伝えることに関してもまた、自分の中にあらゆる自分をもち、伝えられる立場の人に対して共感できることが重要です。厳密には「伝えよう」として「なりきる」わけではなく、伝えたい人が伝えたい意思が、その意思が届けたい人に「届いてしまう」ようなものだと言います。(街場の文体論 (文春文庫))

街場の文体論 (文春文庫)

街場の文体論 (文春文庫)

 

 

ものづくりもまた、優れたコンテンツの理解者が(ここでは「優れた」とは様々なものに触れてきた肉体的な「知恵」を持っているというのが定義です)面白いコンテンツを生み出すということがよくあります。これもまた共感力を用いて過去の知恵を組み合わせて作り出しています。ここには、「知識」から組み立てられるボトムアップな面白さではなく、ユーザーとしてみたときの「あの感じ」という肉体的な面白さからつくられるトップダウン式の面白さがあるように思います。 

 

様々な人と向き合い、理解していくためには自分の幅を持ち、それを使って共感していく力を身につけていくことこそ、生き抜くためには重要なのかもしれません。

新しいことをすることは、ルールを知ること

人に、何を目的として本を読むの?、とか、経済を勉強するの?とか、3Dを勉強するの?とか、聞かれることがよくある。けど明確な目的はないことがおおい。

 

でも、一つ言えるのは世の中にはルールを知っておけば参加できる「ゲーム」がたくさんあるということだ。

経済が読めれば新聞が読めるし、日経平均や為替、あらゆるゲームに参加したり理解できるようになる。

哲学や思想を学べばその考え方を使って少し先の未来を考えたり、目の前の考え事と戦うようにもなれる。

音楽をやればジャンルがわかるし、構成や技術、あらゆる角度から作品が見えるようにもなる。

プログラムをやればものの作られてる仕組みが見えるようになる。

 

何か新しいことをやるということは、そのゲームに参加するためのルールを知るということ。ルールがわかれば遊べるし、ルールを逆手に取ることもできる。

 

目には見えないルールをどんどん習得してその上で遊べばいい。

エンジニアリングも、ものづくりも経済もルール(仕組み)がある。

世の中のあらゆるゲームに参加するために必要なことを学んでいけばいろんなことが見えてくる。

 

難しい・わからない・妥協・諦め。ルールを学ぶことを諦めてしまうのは簡単だが、諦めればそこで終わり。チャンスもゲームもその人にはやってこない。 

 

経済学を学ぶ (ちくま新書)

経済学を学ぶ (ちくま新書)

 

 

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか

影響力の武器[第三版]: なぜ、人は動かされるのか